ことばの通い路

たまに何か書きます

「日常系」の正体

久々の更新です。

初回の更新からずいぶんと間が空いてしまいました。Twitterを利用していると些細な考え事や思い付きはそちらに書いてしまうので、わざわざブログに書くとなるとどうも尻込みしてしまうような気がして、ここまで半ば放置していました。

さて、気を取り直して。

本記事では筆者の趣味であるアニメの一ジャンル「日常系」について、考えていこうと思います。

筆者を含めアニメファンは気軽に「日常系」という語を用いますが、そもそも「日常系」って何なのか、説明できるものなのでしょうか。

「日常系」とは

「日常系」と呼ばれるジャンルのアニメをいくつか視聴すると、それぞれに共通する要素がありそうだということが分かります。

この共通点を洗い出すことで、「日常系」というジャンルを上手く言い表すことができるかもしれません。

筆者は今までアニメを見てきた自己の経験より、「日常系」ジャンルの典型的な例として以下のようなものが挙げられると考えました。

  1. メインキャラクターが女子中高生
  2. 会話劇主体
  3. 到達すべき目標の欠如
  4. 時間的同質性

例えば『ゆるゆり』『のんのんびより』などは、上記に挙げた要素を満たしている典型的な日常系アニメと言えるでしょう。

これら2作品のように、日常系と呼ばれる作品は概して上記要素を満たしているものが多いですが、それではこれらに反するような日常系アニメは全く存在しないのでしょうか。

NEW GAME!』はメインキャストが社会人であり、ゲーム制作という到達すべき目標を持ち、また時間的同質性を欠く、つまり時間が物語と共に進んでいきます。会話劇主体であるかどうかは判断が難しいところですが、少なくとも1、3、4の要素に反しています。

また『日常』は1、3、4の要素は満たしていると考えられます。しかし『日常』はキャラクターの動作や表情で物語を構成する場面が散見され、2については会話劇が主体とまでは言い切れないのではないかと思います。

NEW GAME!』や『日常』は一般的には日常系アニメと見なされることが多いと思いますが、全ての要素を完璧に満たしているとは言い難いでしょう。

もっとも、上に挙げた要素は筆者自らの経験から浮かんだ要素を書き連ねたものであり、他にも日常系アニメに共通する要素や、逆に共通しない要素などというものも当然あるだろうと思います。*1

しかしながら、どうやら「日常系」というジャンルは、ベン図*2で書き表せるように「これとこれとこれの要素に当てはまったものがすなわち日常系」とはならないようだと言うことが分かります。

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ベン図

それでも我々アニメファンは「日常系」と聞くと、何となくそのアニメがどういうものか想像できてしまうものだと思います。

それでは、アニメ視聴者は一体どのようにして言葉でははっきりと言い表せない「日常系」というジャンルを各々の頭の中に想像し、そのイメージを形成するのでしょうか。

家族的類似

哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは語の意味というものを部分的な共通性によって結び付いた集合体とみなし、それを「家族的類似」と名付けました。

家族的類似とは、ある語の表す対象(外延)を唯一説明できるような言葉(内包)は存在せず、それら対象は家族がそれぞれ少しずつ共通したパーツや要素を持つように、緩やかな繋がりをもって存在しているとする考え方です。

例えば「スポーツ」という言葉を聞いたとき、一体どのようなものを想像するでしょうか。

野球、サッカー、バスケ、テニス、卓球、柔道、陸上競技……

ぱっと思いつくものを書き連ねましたが、これらに共通点はあるでしょうか。野球、サッカー、バスケなどは球技という点が共通します。サッカー、バスケは時間制限がある中で得点を取り合うというシステムが共通するでしょう。また、勝ち負けがある、相手がいる、なども根本的な共通点と見ることができます。

しかし柔道はボールを使いませんし、陸上競技の100m走は得点を競い合うものではありません。

また、勝ち負けや対戦相手という観点で言えば、ジョギングやサイクリングはどうでしょう。体を動かすという点では共通しているように見えますが、これらはスポーツには当たらないのでしょうか。

「球技」も「得点を競い合う」も「体を動かす*3」も、互いに少しずつ共通する要素ではあるものの、「スポーツ」を端的に言い表せる要素ではないと考えられます。

「スポーツ」という外延をただ一つの言葉で言い表せるような内包は存在せず、それぞれの要素の緩やかな集合体が「スポーツ」なのだとする考え方が家族的類似なのです。

筆者は、「日常系」というジャンルもウィトゲンシュタインが言うところの家族的類似のようなものではないかと考えています。

これといった一言で日常系を説明しきるような語や要素は存在しませんが、それぞれのアニメが少しずつ何らかの要素を共有しつつ、「日常系」というジャンルの全体像を構築していっているような気がするのです。

おわりに

ここまで「日常系」について考えてきました。

「日常系」というジャンルを端的に言い表せる表現や要素は存在せず、それぞれの要素や共通点を少しずつ持ち合うことで緩やかなまとまりを形成しているのではないか、という結論にひとまずは達しました。

そもそもなぜこのようなことを考える必要があったのかというと、時は遡りますが2019年の4月から6月まで放送されたアニメ「ひとりぼっちの○○生活」を視聴したことに端を発します。

「ひとりぼっちの○○生活」は原作を既に読んでいましたがアニメも最後まで楽しく視聴することができ、また他の日常系アニメとは少し違った魅力のようなものも感じることができました。

以前から「日常系」のあり方について考えることは度々あったのですが、このアニメを視聴して「他の日常系アニメとは少し違った魅力」を感じたことをきっかけに、一度「日常系」というものを整理してみようと思い立ち本記事を書くに至ったという訳です。

実はこの記事は前編となる予定で、後編では実際に「ひとりぼっちの○○生活」を取り上げその魅力について考えていきたいというのが当初思い描いていた計画でした。

しかしながら諸般の事情により後編を書くには至らず、かといって折角書いた記事を破棄してしまうのも勿体ないような気がしたので、一応「日常系」についての簡単な考察という体で投稿することにしました。

またいつか自分なりに考えが深まった時に改めて書くことがあるかもしれませんが、とりあえず今の段階ではここまでとしておきます。

読んでいただきありがとうございました。

*1:メインキャラクターの声優陣がOP及びEDを歌う、などはどうだろうか

*2:複数の集合の関係を図式化したもの

*3:体を動かさないスポーツとしては、e-sportsや将棋、チェスなどが考えられる